茨城のあゆみ
「茨城県の日」である6月17日。その淵源は、今から30年前にさかのぼります。昭和48年のこの日、池田会長(当時)が出席しての「茨城県スポーツ祭」を水戸市・県立スポーツセンターで開催。「30年後、君達自身の栄光を飾って頂きたい」との励ましに、茨城の友は雄々しく立ち上がりました。
池田会長(当時)は13時45分、体育館前に到着。控え室には入らず、そのまま友の輪へ。
【記念撮影】
池田会長(当時)は「茨城の友が喜んでくださるのなら」と記念撮影会を開催。
「信心の功徳をしみじみと実感できる一生であってほしい」「どんなに苦しくとも断じて生きぬいて、勝利の人生を・・・」と渾身の対話。「求道の茨城」「団結の茨城」「行動の茨城」「人材育成の茨城」の“永遠の4指針”がこの時、発表されました。
【スポーツ大会】
撮影を終えた後、スポーツ大会が開かれました。その中で池田会長(当時)は友の中へ入り、汗まみれになりながら“対話の花”を咲かせました。
「6・17」は後日「県の日」となり、茨城の友の“永遠の原点”として、 その歴史に刻まれました。
その後創価学会は、全国の会館の整備や「教学の年」をかかげ、充実を図るとともに、トインビー博士と 2 年越しの対談となる「 21 世紀への対話」をスタートさせました。この対談こそが今日、世界中を舞台に繰り広げられる、識者との語らいの「原点」となっています。「茨城の日」6・17は、まさしく世界平和への「前進」を告げる希望の鐘が打ち鳴らされた、まさにその時に迎えた「黄金の歴史」といえます。
昭和57年2月、池田名誉会長が、厳寒の茨城 ( 水戸、日立、鹿島、土浦 ) を訪れ、あらゆる苦難に耐え、勝利した茨城の友をたたえました。
平成2年6月、待望の新・茨城文化会館落成を記念して行われた茨城記念総会(第30回本部幹部会)。“良き便り”のアヤメが祝福するなか、池田名誉会長は「皆様方は、あらゆる労苦を悠々と見下ろしながら、堂々たる“遊楽の人生”を歩んでいただきたい」とスピーチ。
創価学会は、今や世界 191 カ国・地域へと大興隆。仏法の人間主義は、大きく広がっています。そして今、茨城青年部は立ち上がった。深き使命を胸に。「民衆の勝利」のために、そして、新たな「直通(ひたみち)茨城」の歴史を築かんとの決意に燃えて――。
【21世紀自由芸術祭】
平成9年3月9日、会友300人を含む総勢1500人が出演し、全国に先駆けて開催した人間文化の祭典「21世紀自由芸術祭」を盛大に開催しました。
今、その出演メンバーが、各地域の“希望の光”として活躍しています。
【茨城県青年部文化総会】
「創価の世紀へ 昇りゆく太陽」のテーマで行われた「茨城県青年部文化総会」(平成13年11月18日、県武道館)。大地をも揺り動かす青年の熱と力が、会場いっぱいに轟きわたりました。